自家醸造が合法化された'70年代末以降、数多くのホーム・ブリューワーたちがプロを夢見たが、その誰もが一度はその背中を追いかけた人物がいる。Anchor Steam社のFritz Maytagだ。
アメリカを家事の重労働から解放した」偉大な洗濯機メーカーMaytagの御曹司だったが、若くして独立。新たなチャレンジを求め1965年、廃業を決めた当時最後の独立系ビール醸造所・Anchor Steamを買収、再建に乗り出す。
写真引用元:CNBC
醸造とは無縁の彼だったが、持ち前の探究心で直ぐにその肝を体得。今でこそ「醸造所の清潔さ=ビールのクォリティ」というのはホーム・ブリューワーでも良く知る「事実」だが、彼がまず取り組んだのは日々の清掃だったという。
地元に根ざした少量生産、アメリカ初のIPAやバーレー・ワインのレギュラー販売、季節限定商品などなど、その後のアメリカのクラフト・ビールは同社によって切り開かれたといっていい。
当時ほとんどの消費者はエールに馴染みがなかったが、厳しい低温管理が要求されるラガーは家庭はおろか、文字通りの零細企業である黎明期のクラフト醸造所にとってもハードルが高かった。
そんな中復活させたのがラガー酵母を管理の楽なエール発酵温度で醸造したカリフォルニア伝統のスチーム・ビール。世にエール・スタイルの素晴らしさ知らしめただけでなく、高度な醸造技術を駆使した大手相手にまともに対抗せずとも消費者を魅了することができることを証明した功績は計り知れない。
写真引用元:Anchor Brewing
現在のクラフト業界はまさに彼の背中を見て育った わけだ。実は彼は相当な日本通。10年ほど前に彼と話をしたことがあるが、こんな話が印象に残った。
「1952年、僕はバイクで欧州を旅したんだが、翌年日本を一周しているんだ。浜松とか色々回ったっけ。あの頃は未舗装の道がまだ多くて、こんな国と戦争をしたのかと感慨ひとしおだったよ。」そうやって彼の車の中で聞かせてくれたのは盲僧琵琶だった。
この記事を書いた人:Jimmy 山内
"アメリカンクラフトビール&ウイスキーアドバイザー"
エディンバラ大学博士課程に在籍中、Scotch Malt Whisky Society 本部に勤務。ウイスキースペシャリストとして本部のバーで働きつつ、樽選定委員として初のジャパニーズウイス キーや1.100記念ボトルなど数多くのウィスキー選定に携わる。現在カリフォルニアワインの主要産地であるサンタ・バーバラに在住し、全米のウイスキーおよびクラフト・ビール関連のビジネスに携わる。アメリカのクラフトビールに徹底的にコミットした「Tokyo Aleworks」の統括プロデューサー。
記事の出典元:酒育の会(Liqul リカル)