「なぜアメリカのクラフトビールが世界から注目を集めるのか。」
「高品質で安定したビールがアメリカから次々と生まれるのはなぜか。」
「アメリカのブルワー達が設備選定する決め手はどこにあるのか。」
その答えに値する、誰が読んでも納得する内容の記事。
少し長いですがブルワー、ブルワーを目指す方々には是非、最後まで読んで頂きたい内容です。
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アメリカ。
言わずも知れたクラフト・ビールの震源地だが、その始まりには酪農が深く関係していると言ったら驚く人も多いかも知れない。
米国に訪れた際、90年代に産声を上げたいわば「老舗ブルワリー」をどこかで訪れる機会があれば、創業当時の写真を見せてくれと頼んでみるといい。
創業当時のスタッフが案内してくれたなら、ベースボールキャップに短パン、ちょび髭のひょろ長い当時の自分を目を細めて指差してくれるはずだ。
そんな彼らが写る写真を目を凝らして見てみると、後ろに今のブルワリーでは想像もつかないような醸造機器が写っていることに気がつくだろう。
運がよければ白雪姫の魔女が使うような奇怪な鍋が映り込んでいるかも知れない。
写真
左:Jeff Lebesch(New Belgium Brewing Company)
右:Jack McAuliffe(New Alibion Brewery)
IPAなどほぼ無いに等しかったこの時代(90年代末期でもIPAは全ビールの5%にも満たなかった)、一部のブルワリーを除けば小規模ブルワリーは極めてローカルでニッチなビジネスだった。
個人ないしはホームブルワー同士が集まって立ち上げたブルワリーはブリューパブやタップルームなどと呼べる代物もなく、やって来るお客さんもどちらかといえばビールオタクばかり。
当然資金力も乏しく、肝心の醸造機器に回せるお金も少なかった。
そもそも小規模ブルワリー向けビール醸造機器というマーケットがほとんど存在せず、カナダのSpecificなど一部のメーカーを除けば、小型醸造機器を入手することすら難儀するご時世だった。
そこで重宝されたのが酪農用の機材だった。
アメリカン・ホームブルーイングの世界では今でも温度計を始めとしてBBQ関連ツールが流用されることが多いが、これは肉を構成するタンパク質が熱変性する(すなわち調理)温度帯がビール醸造における糖化酵素の活性化・不活性化とおおよそ被っていることが理由だ。
実は酪農に関してもこれとほぼ同じ。
低温殺菌や低温貯蔵など、およそビール醸造の全プロセスで考えられる温度帯が乳製品のそれと被っている。
酪農業の規模は大小様々で中古製品も多く出回っている。
写真:New Belgium Brewing Companyの創業当時の醸造設備
そして何より重要なのが安全性だ。
ビール醸造で肝となるのは発酵プロセス。
煮沸が終わり冷却器を通った後の麦汁は糖度が高く、栄養分が豊富。
しかも液温は20℃前後と酵母以外の雑菌にも格好の環境だ。
もちろん1時間に及ぶ煮沸によって冷却前の麦汁には微生物は存在せず、冷却直後に大量投入される酵母が他を圧倒するわけだが、そうは言っても冷却器を通った後の麦汁に他の雑菌が繁殖する可能性も0ではない。
プレートチラーは仕組みが複雑で、入念な洗浄後も微生物が住みついてる可能性もあるし、バルブやパイプ、温度計などの洗浄が不十分でその中に雑菌が繁殖してしまうことも少なからずある。
だが一番コワイのは発酵槽そのもの。
商用の発酵槽はほとんどがステンレス製だが、これはステンレスの板を円形(コニカルの場合、底部は円錐形)を貼り合わせ、それに外部とのやり取りのためのポートなどを接続して造られている。
これらの接合には接着剤やハンダ・ロウ付けなどではなく溶接が一般的に用いられる。
具体的にはTIG溶接と呼ばれるアーク溶接だ。
TIG溶接はタングステンを電極に使い、そこに電気を流してアーク放電を起こさせ、その熱で任意の部分を接続する方法だが、このときにシールドガスという不活性ガス(アルゴンガス)を使用して、環境中の酸素や窒素が接合部に入り込まないようにする。
ステンレスはご存知の通り「サビない」鉄の合金(鋼)だ。
これはステンレスに含まれたクロムという物質が空気中の酸素と結合して非常に薄い(100万分の3㍉程度)の酸化膜(不動態皮膜)を作って鉄などが表面に暴露して錆びてしまうことを防いでるいることによる。
弱酸性の液体を扱うビール業界ではSS304(日本のSUS304に相当)やSS316(同SUS316)など、耐食性(防錆)に優れたステンレス鋼材が広く使われるが厄介なのは上記の溶接だ。
TIG溶接はアーク溶接の中では比較的簡単とされる溶接法だが、腕の悪い溶接工の場合、しっかりと接合部がシールドされず非常に高温になっている接合部のステンレスが周りの酸素で酸化してしまったり、周辺のステンレスが変性してしまうことがある。
こうなるとサビの発生を防ぐことができなくなってしまう。
発酵槽などの内側でこのようなサビが発生したらもう手のつけようがない。
鉄分の溶出によってビールの色や香りが悪くなることは避けられないだろう。
また、場合によっては溶接部に細かな穴が空いてしまうこともある。
この場合はもっと深刻だ。
どんな洗浄剤を使っても小さな穴に入り込んだ雑菌を洗浄することはおよそ不可能。
そもそも内部に発生した溶接不具合など発見することも難しいし、一度これらの溶接不具合がタンク内に発生してしまったら直すことはほぼ絶望的である。
せっかく購入した発酵槽をすぐさまお払い箱にするか、それとも涙をのんで使用し続けるか・・・。
しかし、どうやって自分が手に入れた発酵槽の溶接が衛生的に問題がないものか知ることができるのだろうか?
実はアメリカの初期のクラフト・ブルワリーの多くが酪農製品を使った理由は正にここにある。
ビールと違い乳製品は健康被害に直結しやすい雑菌が繁殖しやすい。
しかも乳児から老人まで抵抗力の低い人を含めて圧倒的に大多数かつ幅広い消費者が口にするものだ。
2000年の雪印集団食中毒事件の例を持ち出すまでもなく、一度被害が広まってしまうと取り返しのつかないことになってしまう。
このような理由から、米国では国によって酪農関連の機材に関してはSanitary Weld(衛生溶接)と呼ばれる溶接基準が厳密に決められていて、不用意に低レベルの溶接がなされた機材が市場に出回らないように規制がされている。
そう、酪農向けの機材を購入すればその溶接レベルはすでに担保されているわけである。
酪農は業界そのものは巨大な反面、小規模業者が多く、そのため手頃な中古品が市場に出回りやすい。
生乳もビールも同じ液体物、しかも熱処理の温度帯がほぼ同じとなればこれを使ってブルワリーをスタートアップしない手はないだろう。
正に先人の知恵である。
そんな時代からすでに20年以上。
現在はホームブルーイングに少し毛が生えたサイズの醸造機材から、2000リットルクラスの小規模ブルワリーまでをカバーするビール醸造機器メーカーが数多くアメリカには存在する。
その気になれば、もちろん中国から本当に手頃な値段で機材を購入することだって可能だ。
ビール醸造は枯れた技術だ。
多くの機材の見た目は大きく変わらない。
機能性だってほとんど同じだろう。
しかし、内部はどうだろう?どうやってその溶接技術を見分けるのだろうか?
「魂は細部に宿る。」
ビール醸造機材においてこの言葉が発酵槽の溶接にほど当てはまるところは他にない。
この仕事を通して中国製醸造機器に関するホラー・ストーリーを多々聞いてきた。
そのうちの少なからずが溶接技術に関するものだった。
アメリカでは衛生溶接技術を身に着けた溶接工は酪農を始めとする食品や医薬品業界、そしてビール業界で引く手あまたであり、高い賃金が約束されている。
そもそも人手不足とも言われ、これがアメリカ製醸造機器の値段を押し上げる一因にもなっている。
まさに安全をお金で買っているわけだ。
もちろんこのご時世、米国メーカーとされている醸造機器の多くも現実的には中国で委託製造を行っている。
もし中国のe-コマースサイトなどよく似た機材をより安い価格で見かけたら、そんなことが理由になっているのかもしれない。
しかし、米国の設備メーカーは溶接に関する厳重な品質管理の有無が自社の命運をかけるのをよく知っている。
自社の機材で溶接不具合によるクレームが複数発生し業界にその噂がたったとすれば、そのメーカーはもはや存続していくことが出来ないだろう。
米国醸造設備メーカーの製品は「価格が高いもののクールでカッコいい。」という意見を耳にする。
しかし、実は一番のセールスポイント、本当の価値はこの高水準の溶接技術にあるのである。
この記事を書いた人:Jimmy 山内
"アメリカンクラフトビール&ウイスキーアドバイザー"
エディンバラ大学博士課程に在籍中、Scotch Malt Whisky Society 本部に勤務。ウイスキースペシャリストとして本部のバーで働きつつ、樽選定委員として初のジャパニーズウイス キーや1.100記念ボトルなど数多くのウィスキー選定に携わる。現在カリフォルニアワインの主要産地であるサンタ・バーバラに在住し、全米のウイスキーおよびクラフト・ビール関連のビジネスに携わる。アメリカのクラフトビールに徹底的にコミットした「Tokyo Aleworks」の統括プロデューサー。