アメリカのクラフトビールの歴史:禁酒法
カウボーイクラフトの眞壁です。
今回はアメリカのビールの歴史について少しご紹介したいと思います。
今回スポットを当てるのはこの歴史的ザル法律。禁酒法です。
禁酒法(きんしゅほう、英語: Prohibition)とはアメリカで1920年から1933年まで施行されたアメリカ合衆国憲法修正第18条下、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律である。
歴史上最高のザル法、国民から無視された法律として有名。
そもそも何でこんな法律ができたのかってとこですが以下のような背景があげられます。
アメリカのビールの歴史ポイント①:禁酒法の背景
・第一次世界大戦の相手国、ドイツ人がビールを造っていることが多かったため
・移民労働者の飲酒の習慣を取り締まりたかった
・アルコール中毒や犯罪を減らすため
・移民労働者の飲酒を取り締まるため
・戦争に備えた備蓄確保。穀物を酒造に使うことを禁止するため
などの理由が挙げられます。
もとよりアメリカにはモルモン教やクエーカー教のように戒律で飲酒を禁じている風習も当時からあり、「禁酒した方がいいのでは?」という風潮も後押ししたと言われています。
アメリカのビールの歴史ポイント②:ザル法と言われた理由
写真引用:ウィキペディア
歴史的ザル法との異名を持つこの禁酒法。
アンダーグラウンドで密かに造っているところを警察に見つかっても数10ドル支払えばすぐに釈放されました。
また、会員限定で運営するバーでは普通にお酒が飲め、医療目的と称して病院で処方箋を通じてウィスキーを販売したりとやりたい放題でした。
不健全な酒場をなくすことが目的でもあったのに、より不健全な非合法酒場が乱立したとも言われています。
カリフォルニアでは地下にトンネルを掘り、そこにお酒を隠して普通に飲んでいた人も多くいたとのことです。
アメリカのビールの歴史ポイント③:キャリー・ネーションの登場
写真引用:ウィキペディア
そんな中、この横行な歴史的ザル法を真っ向から支持する女性活動家が現れます。
キャリー・ネイション(Carrie A. Nation)は、アメリカの禁酒主義活動家の一人。
写真で手にしているのは聖書とまさかり。ネイションは金太郎のごとくアルコールを販売するバーに乱入!そのまさかりを振りかざし、酒瓶を叩き壊して回ったのである。
彼女は180cm近くある身長と、80kgの体重で自らを「キリストの足元を走り、彼が好まないものに対して吠え掛かるブルドッグ」だと主張。
バーの破壊による禁酒主義の啓発を神聖なる儀式だと述べた。歴史上まれにみるブルドックである。
アメリカのビールの歴史ポイント④:マフィアの台頭、禁酒法の終焉
写真引用:http://lumdimsum.com/tag/prohibition-ends-at-last/
人の目を盗んで飲む行為はマフィアの格好の資金源ともなり、アル・カポネというとんでもない悪党も現れます。
アル・カポネはギャンブル、バー、売春を誘発、斡旋して得た多額の利益をなんとシカゴ市に納税。いつの時代にも斜め上を行く人はいるんですね!
積極的に市の公務員や警察、裁判所を賄賂漬けにし買収し、後に映画化されるくらい街をめちゃめちゃにします。
もう誰の目から見ても百害あって一利なしの歴史的最悪な法律となってしまった禁酒法は1933年についに廃止されました。
しかし、飲酒量と犯罪率の水準は低下の兆しは見られず、この悪夢のような体験はいったい何だったのかと今でも言われています。
写真引用:ウィキペディア
まとめ
一見すると悲惨でしかない歴史の1ページですが禁酒法を差し置けば1920年代はそんなにアメリカにとって悪い時代ではなかったとの声もあります。
歴史的に見ても自動車や電化製品が広く普及し、映画やラジオなどの娯楽文化も発達。ボクシングや野球などを観戦するスポーツ観戦の文化もこの時代に花開きました。
一種の価値観が大きく変化した時代。それまでの固定概念にとらわれない生き方が模索された時代だったと振り返る声も少なくありません。
こうして考察すると廃止されてよかったとつくづく思える法律ですね。めでたしめでたし。